カテゴリ:相模原生活
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河原嶋橋
私とメルママがウドン屋を開業した河原嶋には川が流れています。
その川には橋がかかっていて、南アルプスでふった雨がその橋の下を流れゆきます。
ある日、その橋をわたって、上流にむかって林道をゆくと、とんがり帽子のような岩山がみえてきました。
その岩山は谷がおおきく曲がっている縁にありました。なにかの目印のようにも見えて、おもしろい形をしていることもあって眺めると、頂にちかいところに古い祠があるのが眼にはいりました。
その祠は時代がかっていました。誰にも見むきもされず、打ち捨てられた過去の遺物なのだろうと私はおもいました。
その岩山の奥に、かつて奥沢井の集落があったと聞いています。もしかすると、そこに暮らしていた人が遺した祠なのかもしれませんが、いまは誰も住んではいません。とっぷりと陽の落ちた夜に岩山のあるあたりをみても、闇がひろがるばかりです。
ある夜のことです。
岩山のあるあたりに赤い点のようなものがみえました。
それはいまにも消え入りそうになりながら、闇のなかで光を発していました。眼の錯覚なのかなと見ていると、メルママが言いました。
「毎月九のつく日になると、あの岩山にある祠に誰かが火をともしにくるみたい」
「あの岩山の祠に」
「うん」
「村の人かな」
「たぶん」
あの赤い光はローソクの炎だったのです。
それにしても、あの岩山の祠に火をともしたのは、大鹿村に住んでいる人に決まっているのですが、闇のなかで燃えている炎をみていると、そうとばかりも思えなくなってくるのでした。
自然にたいする恐れが、あたり一面にしんしんとひろがっています。
闇に圧倒されそうな夜のなかで、今にも消えてしまいそうになりながら灯っている赤い炎は、遠い過去から現代にむかって射られている光のようにも思えますし、人がここにいます、と、あの祠に火をともした人にかわって、あの小さな炎が叫んでいるようにも感じられてくるのでした。
闇がすべてを支配している夜です。生きてあるものは息をひそめて、あの炎のように体内に宿っている命を抱きしめるよりほかにありません。
川の音がきこえています。それは何者かの気配のように、闇のなかに立っている者をおしつつんでゆきます。
ひとが住むことをやめた河原嶋橋からさきは真っ暗でした。そこはすでにこの世ではないように思えてきたのですが、その橋をわたって、あの岩山の祠に火をともした人は、この世に明りを灯しにやってきた使者なのかもしれません。
今、私は街にいます。
太陽のしたで、車がゆきかう交差点をわたりながら、ふいに、河原嶋の闇のなかで燃えていた赤い炎が思い出されてきました。
夜になった今も、あの赤い光は道しるべのように頭のなかで灯りつづけています。
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